(大人の童話)


File. 03 省線電車の思い出


 女子大生の瑞穂は父親と一緒に淀川へ列車の写真を撮りに来ていた。鉄道趣味の父親の血をひいたのか、大

学では鉄道研究部に所属し、いま流行の「鉄子」を自認していた。父親の幸三は昔からの鉄道マニアで、自分

の娘に寝台特急「みずほ」の名前をつけるほどの凝りようだった。

 瑞穂はJRの淀川鉄橋を渡る「新快速」や「サンダーバード」などの写真を必死で撮っていた。この場所は

東海道線と北陸線・福知山線の列車が通るところで、特急列車も多く走り、昔から鉄道ファンの撮影メッカと

して有名であった。幸三も臨時列車が走る情報があると、たいていここでカメラを構えていた。

「お父さんはここでオリエント急行も撮ったんやで」 カメラを構えたまま幸三は隣りの瑞穂に言った。

「えっ、オリエント急行って外国の列車やないの。お父さん、嘘ついたらあかんわ」 瑞穂は笑いながら言っ

たが、幸三は勝ち誇ったような表情で続けた。

「嘘と思うやろ。それがホンマなんやなあ。お前が生まれる何年か前やけど、オリエント急行が走ったんや。

ここを通って大阪駅へ停車して、しばらく駅で展示されたんや。お父さんも見に行ったけどな」

「へええ、ホンマなん? ウチも見たかったなあ」 瑞穂はカメラを構えるのをやめて、父親の顔を見た。

 その時、遠くで「プワ〜〜〜ン」と間の抜けたような警笛が聞こえた。二人はあわててカメラを構えたが、

電車のスピードが遅いせいか、なかなか鉄橋を渡ってこない。ようやく鉄橋を渡り始めた電車を見て、幸三は

絶句した。子供の頃によく乗った省線電車にそっくりだったからだ。娘の瑞穂も今まで見たことがない電車が

走ってきたので、必死でシャッターを押し続けた。

 そのチョコレート色の電車は、二人の目の前をゆっくりと通過し、大阪駅の方へ消えていった。瑞穂は

「お父さん、あのおいしそうな電車は何? 私はじめて見たわ」 幸三は茫然として言葉がなかった。

「おい、大阪駅へ行くぞ!」 幸三は瑞穂をせかせて車に乗せ、大阪駅へ向かった。地下駐車場へ車を入れ、

大阪駅のホームへ駆け上がったが、その電車の姿はどこにもなかった。幸三は近くにいた駅員に聞いた。

「あのう、さっき入ってきたチョコレート色の電車は、どこへ行ったのでしょうか?」 駅員は不思議そうに

「チョコレート色の電車? そんなの今どき走っていませんよ。」 と手を振りながら言った。

 幸三は駅長室へも行ってみたが、やはりそんな電車が運転されるという話はないということだった。幸三は

狐につままれたような思いで駅長室を辞した。

 家へ帰る車の中で、幸三はポツポツと娘の瑞穂に話し始めた。

「あの電車はなあ瑞穂、昭和40年代まで走っていた電車でな。昔の鉄道省の時代の電車やったんで、人々は

省線電車と言うて親しんで来たんや。東海道線や今の環状線になる前の城東線によう走ってた。お父さんも親

戚の家へ行く時に乗ったことがある思い出の電車なんや。それがなんであんな所に。お前も見たやろ?」

 そのとき幸三はいつか読んだSF短編小説を思い出した。日本のローカル線での話だが、トンネルに挟まれ

た山の中の小駅で列車を待っていると、入ってきたのはドイツの特急列車「ラインゴルト」だった。乗ってい

るのは外人ばかりで、ドアも開かず誰も降りず、しばらくして列車はトンネルへ消えてしまったという。それ

と同じで淀川鉄橋の前後に、時空のねじれたところがあるのではないかと、幸三は突飛なことを考えた。

 帰宅してから瑞穂のデジタルカメラをパソコンに接続してみると、撮影したはずの電車のデータは残ってお

らず、後日に写真屋でもらってきた、幸三の一眼レフのフィルムにも、何も写っていなかった。


淀川鉄橋で撮影されたオリエント急行の写真はこちら

大阪駅のオリエント急行の写真はこちら



思い出の情景
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