(大人の童話)


File. 05 福岡の殺意


 東京のデザイン会社社長が殺された。死体は能登半島の能登金剛と呼ばれる海岸へ流れ着いた。警視庁捜査

一課の刑事がデザイン会社で聞き込みをしたところによると、社長は九州へ出かけたそうである。

 社員の誰もが社長から出張するという話を聞いておらず、月曜日に社員が出社すると、事務所のホワイトボ

ードに「福岡へクライアントとの打ち合わせに行く」と書かれていたそうだ。

 「九州へ行った社長が、なぜ北陸で殺されていたのかわかりません。」 社員全員が口をそろえて言った。

刑事たちの懸命な捜査で一人の容疑者が浮上したが、とても九州へ行く時間的な余裕が無く、アリバイが成立

し、捜査は暗礁に乗り上げた。聞き込みに走り回った捜査員たちは夕方、捜査本部に戻ってきた。

 午後7時から警視庁の会議室で捜査会議が開かれ、捜査一課の五十鈴川警部と亀有刑事が現場へ行くことに

なった。すでに飛行機の最終便は出た後だったので、二人は上野駅から急行「北陸2号」に乗り込んだ。

 デザイン会社の支店が富山にあるので、二人は早朝の富山駅に降り立った。支店の場所を確認した後、二人

は近くの喫茶店でコーヒーとトーストの朝食を摂り、デザイン会社の支店が開くのを待った。

 社員への聞き込みで社長が支店へ立ち寄った形跡はなく、二人は富山市内の得意先数社で聞き込みをした後

で、午後の特急「雷鳥2号」に乗り込んで金沢へ向かった。金沢で乗り換えて能登へ行く予定である。

 なんとなく窓の外を見ていた五十鈴川警部が「おい、カメさん。福岡だ!」と叫んだ。亀有刑事が窓の方を

向くと、列車はちょうど「福岡」駅を通過するところだった。

 「こんなところに福岡が!」と亀有刑事もびっくりしたようだったが、五十鈴川警部は「これで容疑者のア

リバイが崩れたな。」と満足そうな表情をしていた。

        (列車ダイヤは1970年のものを参考にしましたが、写真の撮影時期はもっと後年です。)

 
 当時の北陸本線の普通列車はほとんど客車列車で、途中の駅で特急や急行の通過待ちが多く、長時間の停車を余儀なくされた列車もあり、富山・金沢などでは20〜30分停車の列車もざらでした。均一周遊券で貧乏旅行をしていた私は、その停車時間に駅構内の土産物屋をひやかしたり、パチンコをしたりしていたものです。



思い出の情景
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