●HRさん(京都府) うちは父が箕面で伊丹空港の近所だったので、グラマン戦闘機によく追いかけられたと聞いています。亡くなった祖父母の家の壁には機銃掃射の穴があいていました。 ただ、お寺が大阪市内だったので、空襲で寺ごと過去帳が焼けてしまって残っていません。 母は京都の中京に住んでいましたが、病弱だったので疎開せずに京都に残っていました。それで戦中の町の暮らしをよく覚えています。 最近、京都の梅小路機関区が原爆投下の最初の目標だったと聞いてゾッとしています。 京都に空襲がなかったのは、歴史的遺産をアメリカが残したなどという美談は大嘘で、実際には原爆の威力を研究する為にわざと空襲をしなかったのだと、最近の研究で分かっています。 |
●KNさん(兵庫県) 空襲体験とか疎開のこととか、その場で体験した人しかわからないような内容で、かなり重みがありました。 母親は戦時中、まだ幼少でしたが物資が不足し、食べるものがなかったことで、飼っていた兎を食べたことなど語ったことがあります。 当時の若者はみんな戦地に行き、夢があってもやりたいことのできなかった時代を思うと、戦後生まれの人はみんな幸せだと言ってます。 今は、自分のストレスのためだけに人を簡単に殺すような若者が目立ってきている世の中、そういう人間が生まれないためにも、この悲惨なことを風化させず、命の尊さ、大切さを教え込むような環境がもっと必要かと思います。 |
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