長 男 の 入 隊

(地名はほとんど当時の表記にしておりますが、人名はすべて仮名です。)


 伊能家の長男・友治にも赤紙が来た。昭和19年夏のことだった。届けてくれた郵便配達夫は
「おめでとうございます。」 と言って父親の慶治に渡して行った。

 慶治はひと目見てから黙って赤紙を妻のマツに渡した。受け取った赤紙を持つマツの手は震えていた。
 先の徴兵検査で甲種合格とされた友治が兵役に行くのは覚悟していたが、いざその時が来ると取り乱してしまうのは母親の偽らない感情のようだ。

 入隊の数日前、友治は同じ大阪市内に住んでいる姉の一枝に挨拶に行った。一枝は夫が出征してからもしばらく独りで住んでいた。軍服を着て眼鏡をかけた凛々しい弟の姿を一枝はいつまでも門口で見送っていた。

 弟が姫路の部隊に入隊した後、空襲の不安もあったので、一枝は実家で両親や二人の妹と一緒に住むことにした。

 一枝が実家へ戻ってしばらくたった頃、友治の部隊の面会日になった。前日に三女の久子は母親のマツから
「あした姫路へ兄ちゃんの面会に行くよ。」
と言われ、その夜は嬉しくてなかなか寝付かれなかった。

 マツは朝早くからおはぎをたくさん作って、折り箱へ詰めていた。何もかも配給で物資のない時代であったが、親戚が和菓子屋をしていたので小豆や砂糖・モチ米などをわけてもらえることが出来た。

 両親と久子の三人で出かけたが、久子は優しい兄に会える嬉しさで、姫路の部隊までどうやって行ったか途中の景色など全く覚えていなかった。

 部隊はフェンスで囲まれた広いグラウンドの中に兵舎があって、ちょうど行軍の訓練が行われているところだった。面会の家族たちはフェンスの一角にある裏門の前で、兵士たちの訓練が終わるのを待った。

 1時間ほどたって「解散!」と大きな声が聞こえると、兵士たちはぞろぞろと裏門から出てきて、待ちわびた家族たちとのつかの間の再会を喜び合った。中には誰も面会に来なかったのか、がっかりした様子でグラウンドに戻っていく兵士もいた。

 フェンスに沿って道路が走り、反対側は川の土手になっていて、そこが兵士と家族の面会の場所となった。久子は風呂敷を敷いて兄を座らせた。母が布のカバンからおはぎの包みを取り出して、
「遠慮せずにお腹いっぱい食べなさいよ。」 と包みを広げて差し出した。

 門のそばには見張りの兵士が立っていて、面会人や兵士に不審な動きがないかを監視していた。久子たち3人は監視の兵士の視線をさえぎるようにして友治の前に立ち、少しの時間でも落ち着いて食べられるようにしてやった。

 しばらくして集合の合図があり、友治は
「わし班長やから、早う帰らんといかん。」 とあわてて立ち上がったが、母親のマツは
「ちょっとお待ち。これは班のみなさんに分けてお上げ。こっちは上官の方に差し上げなさい。」
と、おはぎの包みを二つ、軍服の下に隠すようにして持たせた。友治は母の心遣いに涙が出そうになったが、なんとかこらえてグラウンドへ走って行った。

 友治は所定の場所に立って、戻ってくる兵士たちを確認しながら一列横隊に整列させ、全員が揃うと
「番号!」 と号令をかけた。
「一、二、三、四、五、……」 兵士たちの元気な声が、門の外にいる家族のところまで響いた。

 友治は班員の数を確認すると、中央の台に立っている部隊長のところへ走って行き、
「伊能班○○名、揃いました。」 と報告。回れ右をして班員のところへ戻り、列の中央に直立した。

 その様子を見ていた久子は
「お兄ちゃんて、えらいんやなあ。」 と凛々しい兄の姿を誇らしく思っていた。

 母が隠して持たせたおはぎは、上官や班員の口に入り、上官も当時は甘いものなどに縁がなかったので、面会時の持込禁止違反を大目にみてくれただけでなく、逆に感謝されたくらいだと復員後に友治は話していた。

 友治の入った部隊はその後中国へ渡り、中支・南支から南方へ移ったらしく、はじめのうちは届いていた葉書も次第に疎遠になり、戦況がきびしくなってからは、とうとう音信不通になってしまった。



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