部 隊 の 面 会 日

(地名はほとんど当時の表記にしておりますが、人名はすべて仮名です。)


 和江が実家へ戻ってしばらくたった頃、重治の部隊の面会日になった。前日に三女の美代子は母から
「あした姫路へ兄ちゃんの面会に行くよ。」
と言われ、その夜は嬉しくてなかなか寝付かれなかった。

 母は朝早くからおはぎをたくさん作って折り箱へ詰めていた。何もかも配給で物資のない時代であったが、親戚が和菓子屋をしていたので小豆や砂糖・モチ米などをわけてもらえることが出来た。

 両親と美代子の三人で出かけたが、美代子は優しい兄に会える嬉しさで、姫路の部隊までどうやって行ったか途中の景色など全く覚えていなかった。

 部隊はフェンスで囲まれた広いグラウンドの向こうに兵舎があり、ちょうど行軍の訓練が行われているところで、面会の家族たちはフェンスの一角にある裏門の前で、兵士たちの訓練が終わるのを待った。

 一時間ほどたって「解散!」と大きな声が聞こえると、兵士たちはぞろぞろと裏門から出てきて、待ちわびた家族たちとのつかの間の再会を喜び合った。

 フェンスに沿って道路が走り、反対側は川の土手になっており、美代子は風呂敷を敷いて兄を座らせた。母が布のカバンからおはぎの包みを取り出して、
「遠慮せずにお腹いっぱい食べなさいよ。」と包みを広げて差し出した。

 門のそばには見張りの兵士が立っていて、面会人や兵士に不審な動きがないかを監視していた。美代子たち三人は監視の兵士の視線をさえぎるようにして重治の前に立ち、少しの時間でも落ち着いて食べられるようにしてやった。

 しばらくして集合の合図があり、重治は
「わし班長やから、早う帰らんといかん。」とあわてて立ち上がったが、母は
「ちょっとお待ち。これは班のみなさんに分けてお上げ。こっちは上官の方に差し上げなさい。」と、おはぎの包みを二つ、軍服の下に隠すようにして持たせた。重治は母の心遣いに涙が出そうになったが、なんとかこらえてグラウンドへ走って行った。

 重治は所定の場所に立って、戻ってくる兵士たちを確認しながら一列横隊に整列させ、全員が揃うと
「番号!」と号令をかけた。
「一、二、三、四、五、……」と兵士の声が響き、数を確認すると中央の台に立っている部隊長のところへ走って行き、
「○○班○○名、揃いました。」と報告。回れ右をして班員のところへ戻り、列の中央に直立した。

 その様子を見ていた美代子は
「お兄ちゃんて、えらいんやなあ。」と凛々しい重治を誇らしく思っていた。

 母が隠して持たせたおはぎは上官や班員の口に入り、上官も当時は甘いものなどに縁がなかったので、面会時の持込禁止違反を大目にみてくれただけでなく、逆に感謝されたくらいだと、復員後に重治は話していた。

 重治の入った部隊はその後中国へ渡り、中支・南支から南方へ移ったらしく、はじめのうちは届いていた葉書も次第に疎遠になり、戦況がきびしくなってからは、とうとう音信不通になってしまった。





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